Re:LIFEな日々 チョコミント味

いろんな人が気になったことをつづっていきます。

ヨハン・クライフの名言〝最高の技術〟とは!?チュッパチャップスをなめる理由は!?W杯で韓国批判!?

time 2016/08/11

ヨハン・クライフの名言〝最高の技術〟とは!?チュッパチャップスをなめる理由は!?W杯で韓国批判!?

2016年3月24日、オランダ出身の元サッカー選手で、指導者でもあったヨハン・クライフ氏が肺がんでこの世を去った。

彼は、ペレやプラティニなど20世紀最高の選手と肩を並べる選手であり、ピッチ内外での彼独特の言動は、マスコミの注目の的だった。

私は間違ったことがない、間違うことは私にとって難しいからだ

選手時代、プレースタイルやその言動が逸脱したレベルであり、かなり性格に癖があったため、自信家、お喋り、神、フライングダッチマンなど、色々なニックネームを付けられたのは有名だ。

当時はDFは守る人、FWは攻める人という固定観念が強かったが、そんな概念を打ち破り個々の選手が思いのままにポジションチェンジを繰り返し、渦を巻くようにチームがダイナミックに機能するというトータルフットボールを確立させた立役者ヨハン・クライフ。

現代サッカーの基盤を構築した偉大な男のユニークな言葉に耳を傾けてみょう。

sponsored link

img_ae232bd962efc1a167220209cdefffeb165276ヨハン・クライフ

国籍 オランダ

1947年4月25日生まれ

2016年3月24日没 享年68(歳)

16才の頃にオランダプロサッカーリーグ屈指の超名門であるアヤックス・アムステルダムにてプロデビューを果たし、UEFAチャンピオンズカップ3連覇、オランダ代表ではFIFAワールドカップ準優勝に導いた実績などからバロンドール(欧州年間最優秀選手賞)を3度受賞した。

指導者としてFCバルセロナの監督を務めると、リーガ・エスパニョーラ4連覇やUEFAチャンピオンズカップ優勝などの実績を残し監督としても成功を収めた。

日本での知名度はマラドーナやペレには劣るものの、サッカーそのものに与えた影響力は2人よりはるかに上回る。

 

彼の口から生まれたユニークな“名言”は、人を惹きつける最高の武器

 

ワンタッチこそ最高の技術だ

AS20160324005578_commワンタッチとは、例えば味方から自分にパスが来てボールが自分に触れた瞬間、そのボールをそのままシュート、もしくは味方へパスする技術である。

何がサッカーで難しいかというと、正確にトラップをして、ドリブルをするのかパスを出すのか瞬時に判断する。

聞こえは簡単だが、いざフィールドに立ってみると別物だ。

そこには、天候、フィールドのコンディション、予測不可能な敵と味方の動きを瞬時に見て判断しなければいけない。

迷っている暇はない。

優秀な選手は本当に周りをよく見るし、ワンタッチで難しいボールも最高のプレゼントパスにして周りの選手に供給するのだ。

ボールを動かせ、ボールは疲れない

20060205173713

トータルフットボールの特徴の一つは、チーム全体でパスを回して自チームが常にボールをキープすることで試合の主導権を握ろうとすることだ。

相手に奪われる可能性の低いショートパスを多用して敵ゴール前まで徐々にラインを押し上げて攻め上がる。

攻撃が行き詰まったときは無理に攻撃してボールを奪われるよりは守備的ミッドフィールダーやディフェンスラインまでボールを戻して、再びディフェンスラインからのビルドアップ(攻撃の組み立て)を行う場合が多い。

そういう場面で作られた時間を生かし、各選手がスペースを作りチャンスを生み出すのである。

クライフの名言

彼が喋る時は、皆がその一言一言に注目した。

サッカーの頂点に立った男なのだから当たり前だと思うが、その言葉のセンスは彼しかないものだった。

彼の名言を少し紹介したい。

・「美しく敗れる事を恥と思うな、無様に勝つことを恥と思え」

・「勝利に必要なら、私は親の仇でも使う。」

・「ダメな奴らが走るんだ。相手をもっと走らせろ!」

・「ボールを奪われたら追うのは当然だ。でも60メートル走るなよ。6メートルでいいんだ」

・「良い監督は、あるプレーヤーの短所を、別のプレーヤーの長所でカモフラージュする。」

・「才能ある若手にこそ、挫折を経験させなければならない。挫折はその選手を成長させる、最大の良薬だからである」

・「いくら技術に優れたスーパースターでも、その上には、勝者が、チャンピオンがいるものだ 」

・「 フットボールはとてもシンプルなものである。しかし、最も難しいのはシンプルにプレーすることである」

・「 本当に素晴らしいフットボールは、国境を超え、自分の属する国籍までも忘れさせ、人々を熱狂させることだ」

 

記憶に残るクライフのプレー

yjimageYouTube : クライフ・ターン

クライフ・ターンは1974 FIFAワールドカップ、オランダ対スウェーデンにおいてクライフが初めて披露した後、世界中のサッカー選手に広まった。

 

 

kuraif7YouTube : ジャンピング・ボレー

フライング・ダッチマン!

 

 

 

kuraif9

YouTube : トリックPK

PKでパスを出し敵の不意をつくというプレーだが、1982年アヤックス在籍時のクライフとイェスパー・オルセンが成功したことで有名になったプレーである。

 

クライフとチュッパチャップス 

 

Johan-Cruyff彼は15歳の頃からヘビースモーカーだった。選手時代にはハーフタイム中に体を休める仲間達を尻目に一服していたとの逸話もあるほど。

私も信じられなかったが、あのベッカムがマンチェスター・Uに入団した当時(1991年頃)、多くの選手が酒やタバコをやっていたと証言している。

5201412_orig1991年に心筋梗塞で倒れて以来、医師からタバコ禁止と言われてから、チュッパチャップスを舐め始めた。

 

 

 

00100

ちなみに今では世界中で親しまれているが、チュッパチャップスはバルセロナで誕生した。

 

 

 

禁煙のCMでも名言

kuraif1YouTube : クライフ  禁煙CM

「サッカーは私に人生におけるすべてを与えてくれた。たばこがそのすべてを奪い去るところだった」

 

 

kuraif2

タバコの箱を16回リフティング。

 

 

 

 

 

kuraif3

 

 

 

 

 

 

 

kuraif5

シュート!

 

 

 

 

 

 

kuraif6

sponsored link

2002年日韓ワールドカップへの苦言

 

決勝トーナメントでの韓国の試合で事件が起きた。

韓国のプレイヤーが度重なる暴力を起こしたにも関わらず、審判は一度たりともイエローカードを出さなかった。

イタリア戦とスペイン戦で明らかに審判らが韓国有利のジャッジを下していたのだ。

sakka11デルピエロは顔面にエルボを食らい、

 

 

 

 

 

2002it-kr

マルディーニは後頭部にキックを食らい、

 

 

 

 

2012061713311646f

フランチェスコ・ココは流血。

 

 

 

この試合は、世界中で物議になり、その審判達は後にその事を認め謝罪した。

これにクライフは、このように述べたのだ。

W杯の恥さらし国家。韓国は史上最低の開催国として歴史に名を刻むことだろう

当時、中学生だった私でもわかるような酷い審判のジャッジの仕方だった。

私も今まで数多くのサッカーの試合をやってきたが、あんな審判を見たことがない。

ましてや、ワールドカップでなんて言語道断だ。

それ以来、バルセロナが韓国に行ってないことは言うまでもない。

 

クライフのDNA

 

kuraif13

ジョゼップ・グアルディオラ

2016年2月からマンチェスター・シティFCの監督を務めており、クライフについてこう語っている。

私はサッカーについて何も知らなかった。そして、ヨハン・クライフが全てを与えてくれた。

ハーフタイムの段階で良いプレーが出来ずに戻ってきたとしよう。誰もが『雷が落ちるだろうな』と予想する。もっと戦わなければならなかったと分かっているからだ。

しかし、ヨハンはこう言うんだ。

『君は悪かった。なぜなら、君は走りすぎているからだ。自分が行きたいところにパスを送りなさい。そして、そこに走らないようにしなさい』と。

誰もが聞かされるような言葉もあるわけだが、ヨハンはその正反対のことを言うんだ。

偶然ではないよ。彼が多くのコーチを育てたのはね。

彼は、『論理ではなく、本能に従って行動しろ』と言っていた。先日のユヴェントスとの試合のようにね。首吊りの縄が私に掛かっていた。こんな時ヨハンならどうするのか、私は分からなかった。それが何なのか、私はいつも悩み続けているよ。                                            引用元 : Qoly

 

kuraif12

息子  ジョルディ・クライフ

2010年に現役を引退し、2012年からはマッカビ・テルアビブFCのジェネラルマネージャーを務めている。

父のプレーや哲学は、常にリスキーであり支配的であり魅力的であり攻撃的だった。現在の監督たちの多くが自分自身の哲学のなかに父の哲学のかなりの部分を受け継いでいると思うと語っている。

 

ヨハン・クライフへ

 

私も小学生からサッカーをしてきた一人だ。彼は私の小さい頃の最初の憧れた選手でもある。私の父が彼のプレーを集めたVHSビデオを誕生日にくれたのが、彼を知る切っ掛けだった。

今でも覚えているあの日本人とさほど変わらない体型のオランダ人が大きいヨーロッパ人を華麗に抜き去り簡単にゴールを決める。今でいうリオネル・メッシのプレーを初めて見た衝撃に似ている。 

チャンピオンズカップを3年連続で制し、バロンドールを3回受賞した経歴の持ち主は、エリート街道を進んできたと思っていたが、波乱万丈の幼少時代を過ごしていた。

小さい頃はサッカーより、野球。12歳で父親を亡くし、中学校も中退した。その当時、計り知れない傷を負ったにも関わらず、それを乗り越え16歳という若さでプロ契約した。

現役引退後は、監督業に勤めた。注目したいのは、彼が監督としてバルセロナFCに帰ってきた時だ。当時は、今のような圧倒的な強さ、世界トップレベルの選手も多くいなかった。

その中で「トータルフットボール」を確立しリーグ優勝4連覇、ヨーロッパ主要大会でも優勝をした。トータルフットボールは今では当たり前だが、当時は攻撃と守備する選手が躊躇に分かれていた。

当時のスタイルと違う戦術、全員守備、全員攻撃をチームに浸透させる決断、それに選手を従わせるカリスマ性。上に立つ者の資質を備えていた男だと思う。

今のバルセロナのチームスタイルを構築したのは紛れもない彼の思想からであり、それが今、バルセロナFCが世界最高のチームの一つに挙げられている理由だし、私がバルセロナFCのファンの理由でもある。

優雅でとにかく観ていて楽しいサッカーをする。サッカーの試合を観るとたまに0−0で終わる試合がある。彼の理念からすると0−0で終わる試合なら、やる意味がない。

観客を楽しませることができないサッカーはサッカーではない。

私も同意見だ。90分の何も中身がない映画を誰が好んで観るのか。

監督業を引退した後は、社会貢献に尽くしたという人柄も嫌いになれない。子供達にスポーツを通して教育したいということから財団法人、スポーツマネジメントを中心にしたヨハン・クライフ大学を設立した。私がオランダ語を出来るなら、間違いなく入学したいと思う。

彼は私も含め、世界に数多くの子供達に夢を与えただろう。私にとって夢を追って、高校生まで本気でサッカーをしたことはお金に変えられない時間だし、経験だった。本気で一つのことをやる大切さを知ったし、サッカーを通して多くの大切な仲間にも出会うことができた。

一つだけワガママを言えるなら、彼と一度会って5分でもいいから話がしたかった。

crujff-535358

sponsored link

関連記事はこちら

down

コメントする